娘誕生!

kareo2006-04-17

夜中から、それこそ猛烈にオナカの下が痛くなってきた。(ピークにはオナカ全体が痛むようになる、と聞いていたのだが、どうも私の場合は最後まで全体というほどにはならなかったように思う。)
間隔は1分あるかないか・・陣痛そのものの痛みは1分しか続かないので、交互に休めるはずなのだけど、徹夜続き、休みなし、分娩が近くなっている様子もないこともあって、精神&体力的限界になっていて、ずーーーーっと痛い。それこそずーーーーっと。猛烈に。

旦那が心配して、ナースコールをしてくれるほどに苦しんでたし、「ヒーヒーフー」も最初から効果なんて感じてなかったけど、必死すぎて苦しいくらいで意味はない。
旦那に向かって、涙流して「もうやめたい(頭ではやめれないとわかっていたけど・・)」「家に帰りたい」と訴えてみた、痛みはこの時が(この出産の間で)ピーク!
陣痛のときに、息をするのを途中で忘れ(気絶?)、旦那に「オイ!」って言われて気づく程。ベッドの上では、痛みで、バタバタとのたうちまわってたし、ヒーヒーフーもうるさいくらいに続けてた(<効果なし。でもそれくらいしか痛みを逃す手段は無いと思ってた)。

なにしろ、その晩の当直のスタッフは内診が荒っぽくて(辛かったせいでそう感じたのか、未だに不明。発言も行動も、その人だけが、どうにもこうにも相性が悪かった。)、その度に30分くらいは痛みが強くなったりもしていた。あんましいろんな意味で痛いので、訴えたら「母親は皆通る道なんだから頑張りなさい」などと言う。すでに人並み以上に長く苦しんでいる私に、それを言うか・・と普段の私だったら言い返すだろうヒドイ発言に直接怒る気力もなく・・二人きりになったとき、旦那とこの先どうするかを涙ながらに話し合う。
何をしても進まない陣痛に心底疲れていた私に対して、「朝になったら、先生来るし、おなか切ってもらってでも、何かして出して貰おう。がんばれ」と言って励ましてくれたので、先生に何かどうか手を打って貰うには、朝を待つしかないというチョットだけ上向きな気持ちになった。

すると、朝方5時頃、陣痛の激しい痛みは急に引いて、1時間くらいの間だけ、楽になった。一緒に徹夜を続けていた旦那に、仮眠を促せるくらいの陣痛。間隔はまた4分くらいに戻ってしまった。今思うと、これって良くない方向に戻っているのだけど、このときは身体が楽になったことで安心して、おだやかな気持ちになった。
この頃ようやく(たぶん大目に言ってくれたと思うのだが)子宮口は3cm大。それでも最大の10cmになるまでには、まだまだ・・。
痛みは、安定して起きていたけれど、だんだん先生の出勤するだろう時刻が近づいてきて、お願いしたら何かをしてもらえる期待☆で、時計を見て待ち遠しく待っていることが出来た。

忘れもしない午前8時45分先生登場!
内診をしてから、すぐに「陣痛は、どんどん加速して進むものなのだけど、途中で楽になったり、間隔が安定しなかったりするのは(痛みの強さではない)微弱陣痛と言って良いと思います。薬を使って、今日中に産めるようにしましょう。」と。
「(きょ、今日中???気休めでなくて???)」私の疲れた頭にも、明かりが差してきた。先生、とっても会いたかった。早くなんとかしてください。

午前9時05分、陣痛促進剤投与開始。
最初は20単位/分の量から、最大100単位/分にちょっとずつ内診で確認しつつ増量していった。
投与開始と同時に、あれだけ必死にしていた「ヒーヒーフー」ラマーズから、「フーーーーーーー」というソフロロジー法に変更しましょうと提案され、それからは分娩室まで、つきっきりで二人の助産師さんが交互に呼吸の誘導。
何しろ、テンパって、精神的にも弱ってた私なので、そりゃあもう腫れ物に触るくらいの優しさと、誉める口調で接してもらえた。そうです、私、誉められて育つタイプ。本当にありがとう。笑
促進剤は、それまでの苦しい数日をふっとばすくらいの勢いで効果が出て、内診のたびに驚くほど子宮口が開いていった。4時間弱くらいで、一気に全開10cm!それも陣痛の合間合間で眠ってしまうくらいの、すごいソフロロジー効果。
そして陣痛を楽しめ、待ち遠しいくらいの余裕が自分にもある。イタイけど。
子宮口が全開になる頃には、病院の専属アロマセラピストの背中からおしりにかけてのフェンネルオイルマッサージもして貰っていて、なにやら超贅沢出産になりつつあった。
私の周りには助産師(一人は呼吸法、一人は「いきみ逃し」のつぼ押し)という二人とアロマセラピストの3人のうち2人は必ず居る状態という、豪華なサポートを受けることになり、声援され、癒されていた。

12時を過ぎるくらいに「分娩室準備して。」なんて声が助産師さんから出て、「(まじ?それ私のことだよね???)」と、声にならない喜びを、旦那にアイコンタクトしてみたり。
それからたぶん午後1時くらいに、私は隣にある分娩室に歩いて移動した。

分娩室では、「メガネください」とか言って、冷静なのも誉められつつ、一回目の陣痛でのいきみで、破水。
二回目で頭が見え、三回目には見えっぱなしになり・・・というくらいの初産らしからぬ上手さで、分娩が進行。なにしろ太極拳&ボード&ヨガ効果で、その周囲の筋力には自信があるのです。今までガマンしていた分、思いっきり長くいきんで、誉められて、よーーーーし!と思ったら、先生が外来からなかなかやって来ない。
頭が見えた状態で、押さえられ、むしろちょっと頭を戻され、先生を待つ私たち。こういう力を入れてはいけない時間に、無理に入れてしまうと、会陰は裂けてしまうんだそう・・私はそれは意識して守ったし、分娩室で何か(次の陣痛だったり、先生だったり)を待っている間は、ずっと助産師さんのマッサージを受けていた。

人生初の酸素マスクをつけ、意識では10分以上はそのままだったと思うんだけど、ようやく緑の術衣を身に纏った先生登場!それからは、数回いきんで、やったことないのでなんだかわからないオナカの奥深くにチカラを入れ続けた。コツみたいなのを、どんどん横から言ってもらえるので、言われるままに腰をまるめたり、目を開けてたり(顔面が内出血とかしないように)。陣痛と陣痛の間には、穏やかに静かに待っていることが出来るし、なにしろ分娩台の上でまったく痛みを感じはしなかった。
なんとなく手ごたえというか、感覚的にも出た?と思った次の陣痛で、「はい、うまれますよー」と手品のように、私の足元の下のほうからスルーっと先生が娘を持ち上げた。あ、出た。と思って、私にそんな大きな穴あったっけな?とか考えてた。
14時42分 娘無事誕生娘は、赤紫色をしていて、おなかに乗せたら、ずしっと重かった。

産後は、旦那と家族水入らずで過ごし、お互いのやり遂げた感と、娘の感想とかを話す時間をもらえた。カンガルーケア(って本当はどのくらいのことを言うのかわからない)を希望したので、分娩台の上で出産後すぐにおなかに乗せ、旦那が来てからは初乳を与えて、写真やビデオも撮影して、自分の予後の経過を見るため、ケアや点滴を2時間くらい行い、17時頃には私の両親が到着して対面。
病室に戻り、食事をしていたら、今度は旦那の両親が到着。花のアレンジを祝いに持ってきてくれて、皆にオメデトウを言われて、ウキウキした。

20時頃
、旦那と義理父母は帰ってしまい、よーし眠るぞと思ったのだけど、数日べったりと一緒にいた旦那がいない寂しさと、出産でテンションがものすごい上がっていたのと、病室!入院!という環境の違いで興奮して、なかなか眠りにはつけなかった。